陸路で西安からウイグルを経由してカザフスタンへ(6/10 庫車クチャ)

前回の続きです。

昨日のトルファン駅での出来事を踏まえ、この日は下車前に1日の行動予定をスマホのメモ帳に書いておきました。

 

クチャ駅

朝7時頃、クチャ駅に到着しました。客車が汚い、、、

 

クチャ駅の外観

この駅でも出るときに身分証チェックと行動予定確認がありました。

 

タクシーをチャーターするために駐車場へ移動すると、この街でもやっぱり公安が待機していました。詰所で行動予定を一通り説明すると開放されましたが、チャーターするタクシーの運転手は公安が指名してきました。

 

漢民族の方が運転するタクシーに乗り、最初に朝ごはんを食べに行きます。

 

クチャの食堂

朝ごはんを食べた食堂。

 

クチャで食べた朝ごはん

マントウ(饅頭)と謎の揚げ物。

 

クチャの牛肉麺

ここでも朝食は牛肉麺

最初に行くキジル石窟の開館時間まで余裕があるので、暖かいこの店で時間をつぶしました。

 

ニーハオトイレ

食堂を出発してキジル石窟へ向かう途中、クチャ市街から外へ出るところに検問所がありました。ドライブスルー式の顔認証カメラで顔写真を撮られたあと、運転手さんが私のパスポートを持って詰所に消えていきました。タクシーの車内で待つこと20分。何の手続きがあったのかわかりませんが無事終わったようなので運転手さんが戻ってきて車が動き出しました。

写真は検問所に併設されたニーハオトイレです。

 

新疆ウイグル自治区クチャの道路

ウイグルは路面の舗装がしっかりしています。

 

キジル石窟

開館時間ほぼぴったりにキジル石窟へ到着しました。

 

キジル石窟

入り口で入場料を払い、石窟まで歩いて向かいます。

 

新疆ウイグル自治区最大の石窟であるキジル石窟

キジル石窟と鳩摩羅什

敦煌莫高窟と比べると小さく見えましたが、新疆では最大の石窟です。正面の銅像はかつてこの地で繁栄した亀茲国の僧侶、鳩摩羅什

 

キジル石窟ツアー

日本語のツアーは当然存在しないので、中国語のツアー(予約不要)に参加しました。閑散期だからか私1人に対して2人のウイグル族ガイドさんが付いてくれました。

手荷物の持ち込みは禁止なので、貴重品以外はコインロッカーに入れる必要があります。特にカメラと水筒は持ち込みNGです。しかしスマホで写真撮るのは良いとのこと。

 

キジル石窟第38窟

キジル石窟第38窟。4世紀に作られました。

石窟内は薄暗いですが、解説のときと写真撮るときはガイドさんが持っている懐中電灯で見どころを照らしてくれました。

 

ラピスラズリと孔雀石で彩られたキジル石窟

入って右側の天井。探検家によって剝がされた跡がそのまま残っています。

青色の塗料はほぼアフガニスタンでしか産出しない貴重な宝石であるラピスラズリなので、この壁画を描くのにとてもお金が掛かったことが想像されます。緑色の塗料は孔雀石由来です。

 

キジル石窟に残る盗掘の跡

入って左側の天井。こちらにも剥がされた跡。

 

キジル石窟第38石窟

キジル石窟第38石窟

入口上部の壁画。

 

カオリンと水銀朱で彩られたキジル石窟第38窟

天井の中心。白色はカオリンで、黒くなっている箇所は元々赤色(水銀朱)か肌色(水銀朱の上にカオリン)でした。

 

キジル石窟第38窟

祭壇左側の通路(側廊)。

 

キジル石窟の破壊された壁画

祭壇右側の側廊。後室の仏画は目と口が破壊されています。

 

キジル石窟の壁画

左側の壁画。ほとんど落ちてしまっていますが、敦煌莫高窟のようにアクリルパネルが無いのでよく観察できます。

 

キジル石窟の壁画

右側の壁画。

 

キジル石窟に描かれた五弦の琵琶

こちらの楽器はガイドさん曰く五弦の琵琶だそうです。「日本に現存しているけど見たことある?」と聞かれたので、「あるよ。日本人だから」と答えると驚いていました。

右側の人は肌が黒く描かれていますが、もとは肌色(水銀朱+カオリン)だったのでしょう。

 

キジル石窟の壁画

蛇、鴨、豚?のかわいい壁画。

 

キジル石窟第8窟

キジル石窟第8窟。7世紀のものになります。

 

キジル石窟の金箔が剥がされた壁画

金箔で袈裟を表現していましたが、後の時代に金箔だけ剥がされてしまったようです。

 

キジル千仏洞

菱形区画のうち黒くなっている区画はもとは赤色だったようです。

 

亀茲石窟

入口上部の壁画。飛天が五弦の琵琶を持っています。

 

キジル石窟に描かれた幾何学模様

ここは祭壇の裏側にも入れました。天井には幾何学模様が描かれています。

 

キジル石窟第34窟

第34窟。3世紀に僧侶用として掘られ、5世紀に礼拝窟になりました。

壁面の仏画ルコックらに剥がされ、現在はベルリンにあるようです。

 

キジル石窟の天井画

仏画は天井に一部残っているだけでした。

 

キジル石窟第27窟

第27窟。7世紀に作られた石窟で、仏像を置くための溝が部屋中にありました。

 

キジル石窟の天井画

天井が複雑な造形で、赤色の塗料も少し残っています。

 

キジル石窟に描かれた仏画

描かれている人物の顔がどことなくインドや中東っぽいように感じます。

 

キジル石窟第32窟

第32窟。5世紀の石窟になります。

 

キジル石窟の天井画

この石窟ではあまりラピスラズリが使われていないようです。

 

キジル石窟の壁画

壁とドーム天井の段差のスペースは色々な絵が描かれていて面白いです。

 

キジル石窟第18窟に書かれたルコックらの名前

一番最後は18窟。壁画はなくこの文章が書かれているのみでした。

ここでもルコックの名前が出てきました。

 

キジル石窟の外観

外側の通路。奥の山にも石窟が見えますが非公開のようです。

 

キジル石窟の外観

階段下でガイドさんと解散しコインロッカーから手荷物を回収した後、外からの写真を撮っていると警備員さんが「車に乗っていくか?」と声をかけてくれたのでお言葉に甘えて写真右側の車で入り口まで送ってもらいました。

 

タクラマカン砂漠

キジル石窟を出て天山神秘大渓谷(クズリア大渓谷)へ向かいます。

 

新疆ウイグル自治区の道路

途中ガソリンスタンドに寄ったのですが、ガソリンスタンドは高い壁に囲われ、顔認証を済ませないと開かないゲートが設置されていました。敷地内には運転手のみが入れるようでしたので私は車を降りて給油が終わるまで詰所で待機しました。詰所内には5名前後の警備員と刺股、盾などがあり新疆の警備レベルを実感しました。

 

天山山脈

天山山脈が見えてきました。

 

天山山脈

渓谷に向け一路走っていきます。

 

天山神秘大渓谷

天山神秘大渓谷に到着です。運転手さんとは2時間後に戻ってくる約束をして出発しました。

 

天山神秘大渓谷

道は基本1本だけなので地図は不要です。

 

天山神秘大渓谷

天山神秘大渓谷

天山神秘大渓谷

天山神秘大渓谷

天山神秘大渓谷

天山神秘大渓谷

天山神秘大渓谷

鉄砲水が起きたときに避難するためのお立ち台が定期的に設置されてます。

 

天山神秘大渓谷

水による浸食でできた渓谷ですので、底面は運ばれてきた砂が堆積しています。

 

天山神秘大渓谷

天山神秘大渓谷

天山神秘大渓谷

天山神秘大渓谷

天山神秘大渓谷

天山神秘大渓谷

天山神秘大渓谷

小屋の奥にある階段の先に唐代の石窟があるのですが、入れませんでした。

 

天山神秘大渓谷

天山神秘大渓谷

一番細い区間があるという横道。

 

天山神秘大渓谷

おそらくここが一番細い区間

 

天山神秘大渓谷

すぐに行き止まりとなっていました。

 

天山神秘大渓谷

天山神秘大渓谷

天山神秘大渓谷

河北省から来たというお二人と会いました。

 

天山神秘大渓谷

メインルートに戻ってきました。

 

天山神秘大渓谷

天山神秘大渓谷

ルートの2/3くらい来たとこで落石があり通行止めとなっていました。来た道を戻ります。

 

天山神秘大渓谷

天山神秘大渓谷

天山神秘大渓谷

天山神秘大渓谷

天山神秘大渓谷

天山神秘大渓谷

天山神秘大渓谷

天山神秘大渓谷

2時間の予定でしたが3時間かかってしまいました。車に戻ると運転手さんが昼食としてナンを買ってきてくれていたので、最後の目的地であるクチャモスクへ向かう車内で食べました。

 

クチャのヤルダン地形

クチャのヤルダン地形

ヤルダン地形の中を走っていきます。

運転手さんは朝から時々誰かとウイグル語?で電話をしていましたが、このときは中国語で「これから1人の日本人が向かう」というような話をしていました。

クチャ市内まで戻ってくると2台の謎の車と合流し、その車に先導される形でモスクのある旧市街へ向かいました。

 

クチャモスク庫車大寺

高い壁と鉄条網に囲まれた旧市街、その入り口の有人ゲートを顔パスで突破し新疆で2番目に大きなモスクであるクチャモスク(庫車大寺)に到着しました。

どうやら謎の2台の車は公安で、運転手さんとは顔見知りのようでした。

 

クチャ大寺

正面から。モスク前の広場では子供がサッカーをしていました。

 

クチャ大寺のタイル

緻密なタイル絵です。

 

クチャ大寺

写真右側の詰所で入場料を払ってから入ります。

入場料の支払方法は微信の個人間送金のみ(現金不可)でしたので、中国に銀行口座のない私は支払えず困っていたところタクシーの運転手さんが助けてくれました。最終的に私がタクシーの運転手さんに現金を渡し、運転手さんが公安の一人にオンライン送金し、その公安の方がモスクに支払うという方法で無事完了しました。

 

クチャ大寺

モスクに入ったところの広場。

 

クチャ大寺

モスクの紹介文。16世紀にモスクができ、今の建物は1932年に建てられたようです。

 

クチャ大寺

クチャ大寺

ドームとその中。

 

クチャ大寺の礼拝堂

礼拝堂に入ります。

 

クチャ大寺の礼拝堂

以前はカーペットが敷かれていたのでしょうが、現在は土間敷です。

奥にもう一つ部屋があります。

 

クチャ大寺の礼拝堂の窓

礼拝堂の窓。

 

クチャ大寺の天井

天井の装飾。

 

クチャ大寺

奥の部屋に入ってみます。

 

クチャ大寺

クチャ大寺

クチャ大寺

クチャ大寺

装飾が細かく豪華です。

 

クチャ大寺のミフラーブ

クチャ大寺のミフラーブ

メッカの方向を示すミフラーブ。明らかにタイルを剝がした跡がありました。

 

クチャ大寺

奥の部屋とメインルームとの扉。

 

クチャ大寺の葡萄棚

葡萄用の棚でしょうか。

 

クチャ大寺の鉄条網

伝統的な民家があったと思われるエリアは解体工事中でした。

 

クチャ大寺

クチャ大寺

意味はわからないけど何となく気に入っている看板。

 

モスクを出ると運転手さんから「予定していたことろ全て終わったけどどこで降ろそうか?」と聞かれました。本当は旧市街を散策したかったのですがそんな雰囲気ではないので新市街のスーパーマーケットまで送ってもらい、解散しました。

 

スーパーマーケットで水や食料を選んでいると、少し後ろや棚の反対側をモスクでお世話になった公安数名が歩いていました。彼らの方を見るとすぐに目を逸らしてきますが、どうも私のことを尾行しているようです。

会計終了後にカメラのレンズカバーが割れてしまったので同じビル内にあるカメラ屋さんで代わりのものを買いました。このときも少し離れたところに見覚えのある人が立っていました。

 

中国のプロパガンダ看板

スーパーマーケットを出たとこにあったプロパガンダ看板。

習近平による新時代中国の特色ある社会主義思想の導きの下、中華民族の偉大な復興という中国の夢を実現するためにたゆまない奮闘を ”

みたいな感じでしょうか。

 

クチャのウイグル料理屋さん

夕飯を食べにウイグル料理屋に来ました。

 

ポロ、シャシリク、人参サラダ

ポロ(ウイグル風ピラフ)と羊の串焼き、ニンジンサラダ。

机に置かれたお茶はもちろんハマナスの蕾などが入った茯磚茶です。

 

春菊のサラダ

春菊のサラダ。

この店に入って少しするとモスクとスーパーで見かけた方も入ってきて、少し離れたテーブルに座り何も注文せずにこちらを見ていました。

 

夜のクチャ駅

列車の時間まで余裕があったので駅まで1時間半歩いていきました。

 

クチャ駅の偽英語

クチャ駅にあった英訳ではないただの中国語ローマ字表記。

 

K6727次カシュガル行

K6727次カシュガル行に乗ります。

 

中国国鉄25G型客車

25G型客車です。

 

クチャ駅の駅名標

クチャ駅の駅名標ウイグル語併記です。

 

次回へ続きます。

陸路で西安からウイグルを経由してカザフスタンへ(5/10 吐魯番トルファン)

前回の続きです。

 

トユクの麻扎村から高昌故城へ向かいます。

 

新疆ウイグル自治区の街並み

道路沿いにも麻扎村と同じような住宅が並んでいました。

 

新疆ウイグル自治区の道路

ひたすらまっすぐな道を走ります。

 

高昌故城

高昌故城に到着しました。

 

高昌故城の三蔵法師像

正面には三蔵法師玄奘)の像。

 

高昌故城

13世紀にモンゴルに破壊された都市です。

 

高昌故城

敷地は広大なので課金してカートに乗ってまわりました。

ここでも数人の日本人に出会いました。

 

高昌故城

高昌故城

大分風化してます。

 

高昌故城

高昌故城

おそらく寺院の跡。

 

高昌故城

反対側には仏像を収納するスペースがありました。

 

高昌故城

高昌故城

ドームの跡。

 

トルファンにある火焔山

高昌故城を出て火焔山へ来ました。

 

トルファンにある火焔山

一応有料エリアもありますが、運転手さんが「金払っても見る景色は変わらないから入る必要ないよ」と言っていました。

 

新疆ウイグル自治区の油田

石油を掘るポンプジャック。

樹木の幹に塗られている白い塗料は殺虫剤系らしいです。

 

ウイグル語併記の社会主義核心価値観

ウイグル語併記の社会主義核心価値観。

 

蘇公塔

蘇公塔に来ました。

 

蘇公塔

入り口にはかつて看板などがあった跡がありました。

 

蘇公塔の礼拝堂

蘇公塔

内部は綺麗ですが礼拝はできないように囲われていました。

 

蘇公塔にある墓地

蘇公塔にある墓地

蘇公塔にある墓地

塔のまわりは墓地になっていました。

 

蘇公塔にあるパン焼き窯

ここにも窯がありました。

 

蘇公塔のミナレット

塔にはレンガの配置で模様が描かれています。

 

オーミンホージャの石像

正面にはオーミンホージャの石像が建ってます。

 

北京時間15時頃、運転手さんから「昼食は米と麺どっちがいい?」と聞かれたので「麺で」と答え、ラグマン屋さんに連れていってもらいました。

市内中心部では武装した三人組の公安が頻繁にパトロールをしていて、大きな交差点の一角には必ず公安の詰所がありました。揉めたくなかったので写真は撮っていません。

 

ラグマン屋さんにあった手洗い

ラグマン屋さんの入り口にあった手洗い用の流し。

 

ラグマン屋さんの店内

店の真ん中に暖房兼調理台がありました。

 

ニンニクの葉と豆もやしのラグマン

運転手さんが注文してくれたニンニクの葉と豆もやしのラグマン。替え玉も可能でした。

 

交河故城

交河故城に来ました。

 

ウイグル語併記のプロパガンダ看板

ウイグル語併記のプロパガンダ看板

ウイグル語併記のプロパガンダ看板

ウイグル語併記のプロパガンダ看板

ウイグル語併記のプロパガンダ看板

ウイグル語併記のプロパガンダ看板

ウイグル語併記のプロパガンダ看板

ウイグル語併記のプロパガンダ看板シリーズ。

 

交河故城の地図

交河故城の地図。

 

交河故城

ここは徒歩で巡りました。

 

交河故城

交河故城

交河故城

交河故城

ここにも日本人旅行者が数組いました。

 

交河故城

交河故城

高昌故城よりも残っている気がします。

 

 

交河故城

交河故城

城郭の入り口付近には井戸と見張り台がありました。

 

交河故城

交河故城

交河故城

寺院の跡地。ストゥーパを中心に置くタイプのようです。

 

交河故城

屋根の梁の跡が見えます。

 

交河故城

交河故城

開放されてないエリア。

 

交河故城

一番奥は塔が建ってました。

 

交河故城

交河故城

交河故城

ここも寺院跡地のようです。

 

交河故城

交河故城

住居の跡地。

 

交河故城

交河故城

交河故城

ここの寺院跡地は仏像の身体が残っていました。

 

交河故城

入り口まで戻ってきたので展望台へ向かいます。

 

新疆ウイグル自治区の道路

ウイグル族の民家

綺麗な絵が描かれた民家。

 

新疆ウイグル自治区の道路

こんな道を歩いていきましたが、肝心の展望台は閉まっていたので仕方なく市内へ戻りました。

 

トルファンバスターミナル

バスでトルファン駅に向かおうとバスターミナルまで来ました。

 

トルファンのナン屋さん

バスターミナルの正面の商店。ナンが袋詰めで売られています。

肝心のトルファン駅までのバスは終わっていましたので結局タクシーでトルファン駅へ向かいました。

 

トルファン駅の前

トルファン駅前。夕飯を食べようかと思いましたが店が全然ありませんでした。

 

青椒肉絲

四川料理屋で青椒肉絲のどんぶりにしました。

 

トルファン駅

トルファン駅。

駅構内に入るための身分証チェックでパスポートを提出すると臨時身分証確認台?へ行くよう指示されしっかり確認されました。

 

ウルムチ発和田行の7557次

20:36発7557次に乗り込みます。硬座は混んでいましたが硬臥は空いていました。

 

25G型客車

この列車は長らく非空調列車でしたが、乗車日の数週間に25G型客車に置き換えられました。

 

25G型客車硬臥の車内

テュルク系な顔立ちの方々がナンを持って見慣れた25G型客車に乗っていると不思議な感覚になります。

 

庫爾勒客運段のシーツ

庫爾勒客運段による運行で専用のシーツが敷かれていました。

 

次回へ続きます。

 

 

 

 



 

陸路で西安からウイグルを経由してカザフスタンへ(4/10 吐峪溝トユク)

前回からの続きです。

 

トルファン北駅に到着したZ179次

嘉峪関から乗車したZ179次は順調に西へ走り、翌朝トルファン北駅に到着する30分程前、トイレに並んでいた私のとこに車掌さんが私の切符を持ってやってきました。

「これはお前の切符か?」

「そうだ」

トルファンではどこを訪れる?」

「ここ(スマホのメモ帳に一覧で書いて見せる)」

「どこに泊まる?」

「ホテルには泊まらないで今夜の列車でクチャへ向かう。これがその切符」

「オッケー(その内容をメモする)」

 

今まで中国ではスケジュールを確認されたことがなかったので驚きましたが、このあと新疆ウイグル自治区内では同じようなやりとりを何回もしました。

 

トルファン北駅に到着したZ179次

朝9時、まだ暗いトルファン北駅に到着しました。

漢民族とは異なった顔立ちの方が聞いたことない言語を話していて、看板にアラビア文字が併記されていると異国に来たように感じます。

 

駅の出口には公安の方が数名立っており、駅を出る人全員に身分証のチェックを行っていました。私がパスポートを出すと控えをとってからここでもどこを訪れるのか確認されました。

 

トルファン北駅

駅から出てタクシーをチャーターしようと駐車場に向かうと、そこでも待機していた公安に列車内と同じ質問をされたので同じように対応をしました。その後無事タクシーを1日500元でチャーターできましたが、出発前に運転手さんと公安が10分程話していたので、外国人を運ぶときは何かルールがあるようです。

発車直前に近くにいた日本人旅行者から相乗りを提案されましたが、行きたい場所が異なったので結局1人でチャーターすることになりました。

 

トルファンの牛肉麺屋さん

走りだしてすぐ「朝食食べたか?」と聞かれたので「まだ食べてないよ」と答えると牛肉麺屋さんに連れてってくれました。

 

牛肉麺と茯磚茶

牛肉麺とお茶。ハマナスの蕾などが入った茯磚茶が各テーブルに置かれていました。

 

新疆ウイグル自治区トルファンの日の出

新疆ウイグル自治区トルファンの道路

新疆ウイグル自治区トルファンの道路

新疆ウイグル自治区トルファンの道路

新疆ウイグル自治区トルファンの道路

広大な大地を走っていきます。

 

新疆ウイグル自治区の村

途中に小さな村も通りました。

 

吐峪溝トユクの麻扎村

トユクの麻扎村に到着しました。

トユクは7世紀にムハンマドの弟子がイスラム教を伝えた地とされ、そのお弟子さんと中国人信者第一号の方がこの地で眠っているという言い伝えから「中国のメッカ」と呼ばれているそうです。

ここ麻扎村の正式名称は麻扎阿勒迪村(Mazar Aldi)と言い、「霊廟前の村」という意味になります。麻扎村の住人はほとんどが墓守の子孫と言われています。

 

吐峪溝トユクの麻扎村

柵から覗くと何やら廃墟の香りが、、、

 

ニーハオトイレ

駐車場のトイレは穴が開いているだけのものでした。冬なので凍っていて匂いはないですが、夏場は厳しそうです。

 

吐峪溝トユクの地図

吐峪溝トユクの地図

トユクの地図。

 

吐峪溝トユクの案内板

65世帯370人のウイグル族が生活しているようです。

 

吐峪溝トユク

詰所で入場料を払って入ります。

歩き始めてすぐに1人の女性が私のことを尾行しているのに気が付きました。その女性はずっとスマホ見てるわときどき咳をするわで、上から言われて仕方なく尾行している感がすごかったです。

 

吐峪溝トユクのтопчан

お茶をするための座敷(топчан)がありました。中央アジア文化圏に来たことを実感します。

 

吐峪溝トユクのパン焼き窯

パンを焼く用かと思われる窯。よく見ると模様が描かれています。

 

吐峪溝トユク

古民居と書かれた家は鍵がかかっていました。

 

吐峪溝トユクでドイツ人探検家ルコックが滞在した家

吐峪溝トユクでドイツ人探検家ルコックが滞在した家

ドイツ人探検家ルコックが滞在した家。当たり前ですが散々な書かれ方をされています。

 

吐峪溝トユクの民家

吐峪溝トユクの民家

一軒だけ中から人の気配がするお家がありました。

 

吐峪溝トユクのモスク

吐峪溝トユクのモスク

麻扎村の中心となるモスク。しっかりと鍵が掛けられ中には入れませんでした。

 

吐峪溝トユクのモスク

「麻扎阿力地主麻寺」と書かれています。

麻扎阿力地はこの村の名前である麻扎阿勒迪のことで、主麻はイスラム教の金曜礼拝ジュムアの音訳“主麻 zhǔmā ” を意味します。

 

吐峪溝トユクの窯

モスクの向かいの窯は煤がたくさん付いてました。

 

観光客向けの露店

準備中の露店。

 

霍加木麻扎

モスクの向こう、山の中腹に建っているのがムハンマドのお弟子さんと中国人信者第一号の方のお墓、霍加木麻扎。

 

吐峪溝トユクの民家

吐峪溝トユクの民家

綺麗なお宅もありますが、人の住んでいる気配はありません。

 

吐峪溝トユクの葡萄畑

村の外はブドウ畑のようです。

 

吐峪溝トユクの街並み

通行止めになったので来た道を戻ります。

 

吐峪溝トユクに停まる北京の車

モスクの脇に停まっているセダンは北京ナンバーでした。

 

吐峪溝トユクの街並み

一面茶色い世界です。

 

ウイグル族の民家

一軒のお宅に観光客が集まっていたので見に行くと、どうやら家の中を公開しているようでした。

 

ウイグル族の民家

ウイグル族の民家

入って左側が寝台、右側が居間になっていました。

 

ウイグル族の厨房

厨房は外のようです。

 

吐峪溝トユクの街並み

瓢箪は水筒でしょうか。

 

吐峪溝トユクの中心を流れる川

村の中心を流れる川は凍っていました。

 

吐峪溝トユクのパン焼き窯

この村には窯がたくさんありました。

 

吐峪溝トユクの街並み

吐峪溝トユクの街並み

住民はほとんどいないようです。

 

縦書きのウイグル語

「麻扎阿勒迪村」の文字と縦書きのウイグル語。

 

ウイグル族の民家に貼られていたプレート

平安家庭って何のためのプレートなんだろうか。

 

吐峪溝トユクの街並み

吐峪溝トユクの街並み

どこの家も空っぽです。

 

吐峪溝トユクのモスク

モスクの横から少し内側が見えました。1780年建立で2,000人が同時に礼拝できるそうです。

 

吐峪溝トユクのモスク

モスクの壁には一周鉄条網が張り巡らされていました。

 

吐峪溝トユクの街並み

吐峪溝トユクの街並み

朽ちた家も多かったです。

尾行の女性はだんだんめんどくさくなってきたのか、このあたりでは私の5mほど後ろを隠れもせず堂々と歩いていました。行き止まりにあたって折り返すときの気まずさよ、、、

 

ハミ瓜のオブジェ

何軒かのお宅の玄関にこのような飾りがついているのを見かけました。ハミ瓜ですかね。

 

吐峪溝トユクの詰所

吐峪溝トユクの詰所

駐車場まで戻ってきました。写真は詰所です。

 

吐峪溝トユクの墓地

道路の反対側は墓地になっています。

 

吐峪溝トユクの墓地

ウイグル族の墓地

新疆ウイグル自治区の墓地

山に植物が一切なく、氷点下10度近いのに雪も無いという日本では考えられない環境です。

 

次回へ続きます。

 

 

 

 

 

 

 

陸路で西安からウイグルを経由してカザフスタンへ(3/10 敦煌~嘉峪関)

前回の続きです。

 

敦煌駅

朝6時の敦煌駅に到着しました。敦煌駅は郊外にあるので中心部までバスで向かいます。

 

夏家合汁の羊スープ

夏家合汁という店で朝食に羊のスープとナンのセットを食べました。

小鉢2つと肉追加、茶葉蛋もついてたしか50元くらいだったはず。

 

敦煌の街並み

中国は国内に時差がなく北京時間で統一されていますので、冬場は7時半でもまだ日が昇りません。

 

莫高窟

朝イチで莫高窟に向かいます。

 

莫高窟の予約方法

莫高窟は確実に観たかったので、出国前に微信莫高窟ミニアプリから日本語ツアーを予約していきました。SMS認証は微信のeSenderで取得した中国国内電話番号を使い、支払いはアリペイのtour passから。冬は閑散期なので入場料が夏の半額、見学できる石窟の数は1.5倍になります。

 

莫高窟

シアターで莫高窟の解説動画を観た後、シャトルバスで莫高窟へ向かいます。途中、凍った川の反対側にも石窟のようなものが見えました。

 

敦煌の莫高窟

砂漠の大画廊、敦煌莫高窟に到着しました。

管理事務所のようなところで日本語ツアー参加者が全員集まるまで待ってから巡りました。石窟内は撮影禁止ですので写真はありませんが、29窟、328窟、331窟、334窟、16窟、17窟、427窟、428窟、249窟、96窟、148窟を見学しました。

 

莫高窟

敦煌のシンボル、第96窟九層楼です。

 

莫高窟にある博物館

石窟見学を終えてバス乗り場まで戻る途中に博物館のようなものもありましたが、閉館していて入れませんでした。

 

敦煌風情城

昼食を食べに市内中心部まで戻って来ましたが、冬だからかほとんどの店が閉まっていました。

 

敦煌の鳴砂山

日没が早いので昼食は諦めて鳴沙山へ向かいます。道の先に砂丘が見えます。

 

敦煌の鳴砂山

鳴沙山に到着しました。かつて沙州と呼ばれた土地だけあってひたすら砂砂漠が広がっています。

 

鳴砂山のラクダ

ラクダに乗れるようでしたので乗ってみることにします。受付で料金を支払って番号が書かれた紙をもらい、その番号のラクダに乗るという仕組みでした。

 

鳴砂山のラクダ

鳴砂山のラクダ

30分かけて一周します。

 

鳴砂山のラクダ

私を乗せてくれた534番のラクダ。

 

敦煌は鳴砂山にある月牙泉

月牙泉を見下ろすために砂山に登りました。肝心の月牙泉は影になってしまいましたが、、、

 

敦煌の砂漠

月牙泉の反対側は砂漠がずっと広がっています。

 

敦煌のアイスワイン

市内に戻ってきました。食料品を買いにスーパーに行くと、酒コーナーには莫高を冠したアイスワインが売っていました。葡萄の美酒夜光の盃....という漢詩があるように西域は昔からワインの産地です。

 

敦煌駅の構内

バスで敦煌駅に戻ってきました。これから嘉峪関駅を経由して新疆ウイグル自治区トルファンへ向かいます。

敦煌は蘭州とは異なり回族を見かけることはあまりなく、漢族がほとんどを占めていました。

 

トマト玉子麺のカップ麺

夕飯は先ほどのスーパーで購入したトマト卵麺。

 

Y669次敦煌発蘭州行

20:45発Y669次蘭州行で嘉峪関に向かいます。

 

嘉峪関駅の低床ホーム

嘉峪関駅

0時頃、嘉峪関駅に到着しました。

 

嘉峪関駅の待合室

乗り換えで1時間ほど時間がありますので、歯磨きしたりして時間をつぶしました。

 

嘉峪関駅の改札

嘉峪関駅の改札。

 

嘉峪関駅に停車する25T型客車Z179次

00:53発Z179次に乗り込みます。車輛は25T型客車です。

 

次回へ続きます。

 

 

陸路で西安からウイグルを経由してカザフスタンへ(2/10 天水~蘭州~敦煌)

前回の続きです。

 

天水駅

天水駅に到着しました。

 

天水駅前にある東方宮蘭州牛肉麵の蘭州ラーメン

駅前の東方宮蘭州牛肉麵で朝ごはんの蘭州ラーメン

 

麦積山石窟

天水駅前からバスで麦積山石窟に来ました。

 

麦積山石窟

遠目からでもわかる大きな仏像が彫られています。

 

麦積山石窟

麓にはお寺もありました。

 

麦積山石窟の地図

日本人観光客も多いのが案内図に日本語が併記されてました。

 

麦積山石窟

この階段を登れば石窟です。

 

麦積山石窟

外に面している仏像は基本的にこのように扉で保護されていました。

 

麦積山石窟

遠くからも見えた石仏は近くからだと大きさがよくわかります。

 

麦積山石窟

半室内になったところもありました。

 

麦積山石窟

無数の石仏が並んでます。

 

麦積山石窟の釈迦、迦葉、阿難

彩色が多く残っている石窟もありました。中央が釈迦、釈迦を挟んで向かって右が迦葉、左が阿難ですね。

 

麦積山石窟

おそらく麦積山石窟で一番狭い通路。

 

麦積山石窟

麦積山石窟の天女

天女が描かれた天井画がありました。

 

ラピスラズリによる装飾

この鮮やかな青の染料はラピスラズリでしょうか。

 

天水南駅

麦積山石窟を出てバスで高速鉄道専用駅の天水南駅まで戻ってきました。

 

ETR600/610がベースになったCRH5G

蘭州西駅へ向かいます。車輛はフランスのアルストム社がイタリア国鉄向けに制作したETR600/610がベースになったCRH5Gです。

 

黄土高原

車窓には黄土高原が広がります。

 

蘭州西駅

天水南駅から1時間半ほどで蘭州西駅に到着しました。

 

甘粛省博物館

蘭州西駅からバスで甘粛省博物館へ来ました。

 

馬踏飛燕

甘粛省博物館のメイン、馬踏飛燕。日本では卑弥呼が活躍した時代とほぼ同時期の後漢時代の作品です。

 

螺鈿紫檀五弦琵琶のレプリカ

日本の正倉院にある螺鈿紫檀五弦琵琶のレプリカもありました。

 

蘭州駅

蘭州駅から敦煌へ向かいます。

蘭州では白い帽子やスカーフを被った回族をよく見かけました。

 

蘭州駅に描かれた天女

蘭州駅の天井にも天女が描かれています。

 

中国国鉄の日常

すごく中国らしい1枚。

 

蘭州発敦煌行Y667次は25T型客車

Y667次に乗り込みます。車輛は25T型客車です。

 

和諧1D型HXD1D

中国では珍しく先頭からも写真が撮れました。牽引はHXD1D型。

 

Y667次の車内

車内も天女推しです。

 

Y667次の車内

硬臥は半コンパートメント型でした。床に置かれたポットには熱湯が入っています。

 

中国国鉄の食堂車

食堂車は意外とガラガラでした。

 

食堂車のカーテン

レースカーテンにも天女が。

 

食堂車のメニュー

メニューは他の列車よりも多いような気がします。

 

大盤鶏

大盤鶏と卵スープ、白米

 

敦煌駅

敦煌駅

翌朝5時半過ぎ、氷点下10度を下回った極寒の敦煌駅に到着しました。

 

に続きます。

 

陸路で西安からウイグルを経由してカザフスタンへ(1/10 西安~洛陽~天水)

2019年の12月から2020年の1月にかけて西域へ行ってきました。

 

東京から西安まで陸海路で移動した記事はこちら

 

春秋航空9C6208便

関空を朝7時に出る9C6208便で西安へ向かいます。

 

西安空港

現地時間10時頃、西安空港に到着しました。空港からは最近開通しました地下鉄で西安北壁へ向かいます。

 

西安空港と市内を結ぶ電車

座席はロングシートと背中合わせの席、2種類ありました。

 

渭河

空港を出てしばらくすると列車は渭河を渡ります。奥に見えるのは咸陽(渭城)でしょうか。王維の漢詩「送元二使安西」の冒頭に出てくるあの渭城です。

 

西安北駅

西安高速鉄道駅、西安北駅に到着しました。今回はここから洛陽へ向かいます。

 

西安北駅

西安北駅は最近できた駅なので構内は広く空港のようです。

 

ICE3をベースにしたCRH380BG

乗る車輛はドイツジーメンス社のICE3をベースにしたCRH380BGです。

 

中国国鉄の電子チケット

高速鉄道の切符は電子化しましたので、窓口では座席番号などが書かれたレシートを渡されました。下車後、切符売り場でこのレシートを出して「要藍色票」と言えば今までの青色の切符と基本デザインは同じ領収書?をもらえます。

 

中国国鉄の電子チケットの領収書

後日窓口で発行してもらったもの。清算用と書かれています。

 

中国の高速鉄道

列車は300km/hほどで走ります。

 

洛陽龍門駅

西安北駅を出て1時間半ほどで洛陽龍門駅に到着しました。

唐代や隋代、西安が政治と軍事の中心なら洛陽は流通や商業の中心として栄えました。

 

洛陽の旧市街

駅前からバスに乗り洛陽の旧市街へ来ました。写真は麗景門。

芥川龍之介の代表作「杜子春」は洛陽の門の下から話が始まりますね。

 

洛陽の麗景門

麗景門の裏側。入場料を払えば登れるそうですが、このまま進みます。

 

洛陽の麗景門

門は二重になってます。

 

洛陽の旧市街

門をくぐるとその先が旧市街です。

 

洛陽の旧市街

入ってすぐのあたりは最近建て替えたような新しい建物が並びます。

 

洛陽の旧市街

東へ進んでいくと雰囲気が変わってきました。

 

洛陽の旧市街

画材店や美術品を扱う店がたくさんありました。今考えればこの習近平カレンダー買っておけばよかった。

 

洛陽の鼓楼

鼓楼が見えてきました。西安のと比べるとだいぶ控えめです。

 

中国の八百屋さん

新街のあたりまで来ると地元民向けの露店が広がっていました。

 

洛陽の回民街

新街からさらに東へ進むと回民街があります。

 

ハラルの肉屋

ハラールを表す「清真」の文字の間が黒スプレーで消されてますね、、、

 

民家の戸口に残るアラビア文字

家の戸口の上にはアラビア文字が残っていました。

 

洛陽のモスク

どう見ても中華風の建物ですが、イスラム教の礼拝堂であるモスク(清真寺)です。

 

シルクロードの起点

シルクロードの起点

シルクロードの東側の起点というのはいくつか挙げられていますが、河南省としてはこのモスクの前としているようです。

さて、ここからシルクロードの遺跡を巡って西を目指します。

 

洛陽モスク

モスクの前の道路はガッタガタで再開発ラッシュのようでした。

 

アラビア文字のレリーフ

アラビア文字を使ったレリーフが素敵です。

 

洛陽旧市街

日没が迫ってきたので来た道を戻ります。

 

南関小椀牛肉湯

夕飯を食べに南关小碗牛肉汤(总店)に来ました。店の前にも机と椅子が広げられてて大繁盛です。

 

牛肉汤と油旋饼

牛肉汤と油旋饼。

 

洛陽駅

洛陽駅に来ました。

 

洛陽駅の構内

駅の構内には洛陽の歴史を表した壁画があります。

 

洛陽駅の構内

1992年にできた駅舎なので西安北駅のような広大さはありません。

 

洛陽駅の牡丹

洛陽の名産品である牡丹が駅構内でも売られていました。

 

鄭州発ウルムチ行T197次

今夜のお宿は鄭州ウルムチ行のT197次です。

 

中国国鉄25K型客車の硬臥

車輛は25K型客車、開放寝台の硬臥です。

 

鄭州客運段

リネンには鄭州客運段のロゴが入っていました。

 

天水駅の低床ホーム

翌朝7時過ぎ、列車は天水駅に到着しました。

 

中国国鉄のゴミ回収車

ホームの端にゴミ回収車が停まっていました。中国の長距離鉄道では、車内で出たゴミは車掌さんがゴミ袋ごとホーム置いておくと列車発車後に回収車がプラットホームを走って回収していくシステムです。

 

次回へ続きます。

陸路で香港からラオスを経由してタイへ(5/5 ノーンカーイ~バンコク)

前回からの続きです。

 

ノーンカーイ駅

ノーンカーイ駅は大きい駅ではありませんが賑わっていました。

 

タイ国鉄の信号取扱所

ホーム上に信号扱所がありました。手前のベルは発車の際鳴らすものでしょうか。

 

タイ国鉄の信号テコと閉塞器

職員に確認したところ撮影okでしたので中も撮らせてもらいました。

左側は信号テコ、右側は閉塞器でしょうか。

 

タイを走る中国製客車

ノーンカーイ駅駅からバンコク駅へ向かう夜行列車は3本ありますが、そのうちの1本である26列車が入ってきました。牽引は日立製作所製のHID型ディーゼル機関車、客車は2016年に導入された中国中車製の最新客車です。

 

ノーンカーイとバンコクを結ぶタイ国鉄の夜行列車

上り列車なのに行先表示器はなぜか下りのときのものを表示してました。

 

ディーゼル車の座席夜行列車

続いて2本目のバンコク行夜行が入ってきました。車輛は東急車輛製のTHN型気動車。全席座席車のディーゼル夜行です。

 

タイ国鉄の客車夜行列車

そして今回乗る3本目の夜行列車が入ってきました。こちらは昔ながらの客車夜行です。

 

タイ国鉄の客車

日本の10系客車が基本設計とのことです。

 

タイ国鉄のサボ

サボには号車番号と運行区間が書かれてます。

 

タイ国鉄の客車

ドアの上には3等車を表す「3」のライトが点灯しています。

 

タイ国鉄3等非冷房座席車

夜行列車で非冷房座席車に乗ることはそうそう無さそうなので今回はあえて3等座席車にしました。

 

タイ国鉄の車内

ガラガラのままノーンカーイ駅を発車しました。窓を全開にして乗る夜行列車というのも新鮮です。

 

タイ国鉄のドア

走行中もドアは開けっ放しでした。

 

タイ国鉄の連結幌

ドアは全開だったのに連結部はしっかりと幌で固定されてました。

 

タイ国鉄車内販売のガパオ

途中駅で弁当の立売りが乗ってきてガパオを販売していたので夕飯として購入しました。

 

タイの小さな駅

小さな駅にも停まっていき、ガラガラだった車内もだんだん賑わってきました。

 

バンコク郊外を走る夜行列車

翌朝、列車はバンコク郊外を走行していました。最後部は簡単な柵があるのみです。

 

建設中のバンスー中央駅

建設中のバーンスー中央駅が見えてきました。この駅が完成するとフワランポーン駅は閉鎖されるという話です。

 

タイの鉄道

線路付近まで建物が建つようになってきました。

 

バンコクフワランポーン駅

フワランポーン駅に入っていきます。

 

バンコクフワランポーン駅

走行中なのに降りていく人もちらほら。

 

バンコクフワランポーン駅

バンコクフワランポーン駅

バンコクフワランポーン駅

フワランポーン駅に到着しました。寝台車の前ではシーツを回収していました。

 

バンコクフワランポーン駅

窓から荷物を降ろしています。

 

バンコクフワランポーン駅

どこに積んでいたのか気になる量の荷物です。

 

タイ国鉄の旧塗装

旧塗装である緑色に塗られた客車も繋げられていました。

 

タイ国鉄AHK型ディーゼル機関車

牽引はフランスのアルストムに発注されドイツのヘンシェル社とクルップ社によって作製されたAHKディーゼル機関車でした。

 

タイ国鉄GEA型ディーゼル機関車

フワランポーン駅はヨーロッパのターミナル駅のような雰囲気です。

隣はアメリカのGE社によって作製されたGEA型ディーゼル機関車

 

バンコクフワランポーン駅の駅名標

フワランポーン駅の駅名標

 

バンコクフワランポーン駅

奥から日本製、ドイツ製、アメリカ製の車輛が並んでいました。

 

バンコクフワランポーン駅

タイを感じる1枚が撮れました。

 

タイ国鉄GE型ディーゼル機関車

駅の端っこにはアメリカGE社製のGE型ディーゼル機関車牽引による列車が停まっていました。

 

タイ国鉄ALS型ディーゼル機関車

フランスはアルストム社製のALS型ディーゼル機関車もいました。

 

タイ国鉄の展望車

展望車でしょうか。

 

タイの12系客車

タイの12系客車

以前は日本の12系客車だった車輛もいました。

 

タイの韓国製寝台車

韓国の大宇重工業製の寝台車もいました。

 

バンコクフワランポーン駅

北側の端まで来るとまた違った雰囲気です。

 

バンコクフワランポーン駅の外観

フワランポーン駅を外から。

 

カオマンガイ

朝ごはんはラーン・ガイトーン・プラトゥーナムカオマンガイを食べました。

 

バンコクの赤バス

バスに乗って涅槃仏で有名なワットポーへ向かいます。車種は日野AK176でした。

 

赤バスの車内

床が木の板というレトロなバスです。運賃は車内を巡回している車掌さんに支払いました。

 

ワットポー

ワットポーに到着しました。

 

ワットポーの涅槃仏

有名な涅槃仏です。

 

涅槃仏の螺鈿細工

足の裏には南国らしく螺鈿細工で仏画が描かれていました。

 

ワットポー

このお堂に多くの人が入っていってましたので入ってみることにしました。

 

ワットポー

お堂の中は金ぴかに輝く仏像が祀られていました。

 

ワットポー

外に並ぶ仏像も金ぴかです。

 

トムヤムクン屋さんのPe Aor

お昼ご飯を食べにPe Aorに来ました。

 

バンコクのトムヤムクン

トムヤムクンエナガエビが1匹まるごと入っていました。

 

マファイ

果物屋さんでは見たことない果物が売っていました。手前の大きい龍眼みたいのはマファイでしょうか。

 

タイのマンゴーデザート

タイといえばマンゴーということで最後にオシャレなお店で食べてきました。

 

夜のフワランポーン駅

帰りの飛行機はドンムアン空港からなので、フワランポーン駅から国鉄線でドンムアン駅まで向かいます。

 

タイの夜行列車

乗る列車はラオスカンボジアの国境に近いウボンラーチャターニー行の夜行列車。

 

タイの荷物車

機関車次位の荷物車にはだれかのバイクが積まれていました。

 

タイ国鉄GEA型ディーゼル機関車

牽引はアメリカGE社製のGEA型ディーゼル機関車です。側面のGEのロゴがなぜか上下逆さまになってました。

 

フワランポーンから20分ほどでドンムアンに到着し、ドンムアン空港から日本に帰りました。