前回の続きです。
ビエンチャンのメインストリームの一つ、Samsenthai通りに来ました。
ホテルにチェックインし、街を少し歩いてみます。
ラオス国立文化会館。
ベトナムは中国っぽい建築が多かったですが、ラオスはタイっぽい建築様式が多くなりました。
日が暮れてきたのでビエンチャンナイトマーケットに向かいます。
ビエンチャンナイトマーケット。服やアクセサリーを売る店が多かったです。
夕飯は麺に野菜が乗っているやつ。
翌朝。交差点にも小さな祠がありました。
ラオスのコンビニ、M-Point Mart。タイの商品が多くありました。
タートダム。ストゥーパ(仏塔)です。
サンスクリット語の「ストゥーパ」は日本に伝わって「卒塔婆」「塔」となりました。
ラオスも東側諸国なので鎌と槌があります。
ビエンチャン高校。仏領インドシナの影響かフランス語が書かれています。
でも後ろの禁煙の看板は英語。
ラオス外務省。外務省だからかここにもフランス語。
ラオスの様式ですが、なんとなくパリの凱旋門っぽくもあります。
凱旋門の内部には仏教をモチーフにした装飾がありました。東アジアで見る北魏様式ではなく、インドっぽいデザインです。
ここから歩いてタートルアンへ向かいます。
京都市バスのお古?が走っていました。
歩いて30分ほどでタートルアンに到着しました。
ラオスを代表する仏塔、タートルアンです。
中には入れず、まわりから眺めるだけとなります。
タートルアンはラオスの国章にも書かれているよ!ってことなのか国章が大きく描かれた石碑がありました。国章の基本的なデザインはソ連に則っています。
日本でいう放生会のために売られている小鳥を子猫が狙っていました。
タートルアン南寺院に来ました。
ここには黄金の涅槃像があります。屋根もなく野ざらしです。
ここラオスでは鶏を放していることが多いような気がします。
市中心部に戻る途中にマルハン日本銀行がありました。マルハンってパチンコだけじゃなくて金融事業にも進出していたんですね。
ラオスらしいものが食べられていなかったので中心部にあるレストランでラオス料理を食べることにしました。店頭の写真は撮り忘れてしまったので料理の写真だけですが、、、
こちらはカオニャオ(蒸したもち米)。
ラープ(ひき肉のハーブ炒め)
昨晩来たメコン河沿いの広場に来ました。たくさんの国旗と鎌槌が翻っています。
屋台は小さく畳まれてブルーシートが被せられてました。
バスターミナルへ来ました。ドリアンに似てるけどもドリアンより大きい果物ジャックフルーツが売ってました。
都バスのお古?に乗ってターナレーン国境検問所へ向かいます。
車内の椅子はこっちで取り付けたものでしょうか。
ターナレーン国境検問所へ到着しました。ここからバスに乗ればタイへ渡れますが、今回はラオス唯一の鉄道(当時)に乗るために2kmほど離れたターナレーン駅へ歩いて向かいます。
砂埃を巻き上げながら走る都バス。
道中、壁画が描かれたお寺がありました。
歩道もないような道を進んでいきます。
ヤギ?の家族も歩いてました。
”to shelter” と書かれた看板。
上を向いたパラボラアンテナと高床住居から低緯度地域にいることを実感します。
1日数本しか走らない路線ですが、遮断機つきの踏切がありました。
ターナレーン駅に到着です。
駅前にも国旗と鎌槌がありました。
駅に入ると右側に切符売り場、左側にイミグレがあります。切符を購入後、切符とパスポートをイミグレに提出すると出国スタンプを押してくれました。
出国後の制限エリアを一切設けていないので、出国前でも出国後でも自由に動きまわれます。
広いヤードが広がるターナレーン駅。
ラオスのターナレーン駅とタイのノーンカーイ駅を結ぶ国際列車が来ました。日本製でタイ国鉄所属のRHN型気動車です。
イギリスの First TransPennine Express の塗装に似ている気がします。
サボ。ノーンカーイ駅とターナレーン駅のシャトル列車です。
車内はボックス席です。
ガラスにはタイ国鉄の紋章がありました。
係員が乗客全員に出国審査を済ませたか確認してから発車しました。
友好橋の手前で道路との併用軌道に入ります。
国境であるメコン河が見えてきました。
ラオスとタイの国境。
タイに入り、道路とも別れてノーンカーイ駅に到着です。
ノーンカーイ駅に到着しました。これにてラオス国鉄の全路線全駅制覇です。
国際列車は専用のプラットホームから発着し、ホームと駅舎を結ぶ通路上にイミグレのデスクがありました。
構内を広く照らす照明が国境駅であることを実感させます。
次回へ続きます。