あじあ号のパシナを見に瀋陽鉄路陳列館へ(3/3)
前のページからの続きです。
最後は客車と壁側の展示です。


EX型修理車。


1936年に満鉄鉄道工廠製で造られたGW型公務車
パンフレットによれば1943年から1945年までアジア号の最後尾で使用されていたようです。


YZ5型硬座車(2等座席車)

YZ5型は車内に入れました。


YZ30型硬座車


YW22型硬臥車(2等寝台車)


YZ22型硬座車


CA23型食堂車


東ドイツ製RW24型軟臥車(1等寝台)
社会主義陣営の国際列車標準規格の客車です。


YW25G型硬臥車


YW25K型硬臥車


YW25T型硬臥車


CRH3型動車組
ドイツSIEMENS社製のICE3がベースになっています。

訪問した日(2018年11月)ではここからまでしか入れませんでした。

この先は信号やタブレット閉塞機の展示があるようです。


撫順のジテのような車輛も置いてありました。

奥側の壁には瀋陽鉄路局の路線が紹介されていました。

蒸気機関車は上から眺めることもできるようになっています。


パシナも上から眺められます。


後ろに展示されていたZ151型15トン蒸気クレーン車

1914年にドイツで作成されたUH2型02号無火蒸気機関車

入口側の壁には中国東北部の鉄道の歴史について展示しています。

もちろん満鉄関係も豊富にあります。



張作霖爆殺事件の展示



朝鮮戦争のときのスローガン「抗美援朝 保家衛国」

中国国鉄歴代の制服も展示されていました。

マネキンの後ろには路線網の中長期計画

横には瀋陽鉄路局の中長期計画もありました。
あじあ号のパシナを見に瀋陽鉄路陳列館へ(2/3)
前ページからの続きです。
蒸気機関車の次はディーゼル機関車、電気機関車、貨車が展示されていました。




北京型ディーゼル機関車


アメリカGE社製ND5型


東風4B型ディーゼル機関車






東風5型ディーゼル機関車


東風6型ディーゼル機関車


東風4C型ディーゼル機関車


東風7G型ディーゼル機関車


韶山1型電気機関車


中華之星


和諧3型ディーゼル機関車


帝国ロシアで1900年に造られたC20型無蓋車
Cは無蓋車という意味になります。

1920年にアメリカはMagor社で造られたK4型鉱石運搬車
Kは鉱石車です。

帝国ロシアで造られ、1935年に大連で改造された淡水輸送用の水槽車

1944年にアメリカで作られたN10型貨車
Nは平車です。

日本製のS5型守衛車
Sは守車です。

S12型守衛車

P3型棚車
Pは有蓋車(棚車)を表します。

C50型無蓋車

C1型無蓋車

C62型無蓋車

C62M無蓋車

C80B型無蓋車

C70型無蓋車
次のページに続きます。
あじあ号のパシナを見に瀋陽鉄路陳列館へ(1/3)
2018年11月、南満洲鉄道(満鉄)のパシナを保存していることで有名な瀋陽鉄路陳列館が一般公開されたという話を聞いたので行ってきました。


瀋陽駅前からバスを乗り継いで最後は少し歩きます。


向かって左側に前進型蒸気機関車

向かって右側に人民型蒸気機関車が展示されています。

瀋陽鉄路陳列館の入り口

入場料を支払った後にパスポートの番号を控えられました。このときは窓口担当さんが台紙に記入していました。エントランスにはコインロッカーもありました。

入場料は80元、ガイドは100元。9時から15時半まで開いていて、日曜月曜が定休日です。12月1日から3月1日もお休み。

展示室の入り口は真ん中なので、とりあえず一番端から見ることにします。


最初はアメリカのALCO社製プレイ型


同じく米ALCO社製のダブイ型




日本製パシコ





そして今回のメイン、パシナ
ライトアップの関係で変な色に見えてますが、右側が水色、左側が緑色に塗装されています。


右側のパシナは満鉄沙河口工場製


左側のは川崎重工業社製

動輪は直径2mあります

住友の社印がありました

運転台に登るもの大変そうな高さです

パシナを側面から

パシナの反対側

連結器にも住友の社印がありました。

757の方は細部が少し違うようです。

パシナが2台並ぶと圧巻です。


続いてドイツクルップ社製、サタニ


日本製のミカロ


満鉄大連工廠製のパシハ


ドイツ国鉄Class50を基にしたルーマニア国鉄150型。中国での呼び名はDK5


工建型蒸気機関車

ポーランドFablok社製T3A(TKh49)の中国輸入版XK13


建設型蒸気機関車
工建


上游型蒸気機関車


前進型蒸気機関車
次のページに続きます。
陸路で西安からウイグルを経由してカザフスタンへ(10/10 アルマトイ~ノヴォシビルスク~成田)
前回の続きです。
昨晩アルマトイに着いたときは真っ暗だったので、アルマトイ市内を歩いてみようと思います。

アルマトイのこのあたりは建物が「ロ」の形になっていて、中庭は公園や駐車場となっているようです。ホテルの出入口も中庭側にありました。

中庭にある公園。なぜか高いフェンスが設置されています。

昨晩夕飯を買ったスーパー。24時間営業のようです。

アバイオペラ劇場

役所のような見た目ですが大学(カザフブリティッシュ工科大学)でした。正教会のクリスマスは1月7日なのでクリスマスツリー( Ёлка )が飾られています。

路駐してる車がない、建物が低いので空が広い、空気が綺麗と何をとっても中国とは大違いです。直前にいた街が超監視社会だったので解放感もすごいです。

信号機はカザフ語、ロシア語、英語の三か国語表記でした。

カフェが開いていたので朝ごはんを食べるために入ると、ラグマンが超おしゃれに出てきました。セロリが使われていたりと洋風アレンジです。

アルマトイではトラムこそ廃止されましたがトロリーバスはまだ健在のようです。

ゼンコフ教会。朝早かったからか中には入れませんでした。

中央バザールに来ました。

建物の外ではおもちゃや雑貨が売られていました。

建物の中は食品などが売られていました。トイレが有料&料金回収のおばちゃんが座っているところを見て “ ヨーロッパに来たな ” と思いました。

中央バザールを出て中央モスクに向かいます。道中素敵な模様が描かれた団地がありました。

ソ連圏名物の頭上を通る配管もありました。

アルマトイ中央モスク。

金色のドームもあり立派です。

最後にちゃんとした食事を食べるためにカザフスタン料理屋さんに来ました。旧ソ連だっただけあってロシアンティーがありましたので頼むとおしゃれに出てきました。

カザフスタン名物のベシュバルマク。茹でた馬肉と馬肉のソーセージが乗っています。

鮭のウハー
食後、バスでアルマトイ空港へ向かいました。

16時頃、S7航空のアルマトイ発ノヴォシビルスク行S7 5502便に乗ります。機材はエンブラエル170です。

19時頃ノヴォシビルスク空港に到着しました。着陸した瞬間、機内はソ連からの伝統である拍手に包まれました。
成田行きが出るまで4時間ほどあるので、ロシアに入国します。

空港を出てすぐのところで保存されているТу-154 (Tu-154)

同じくИл-86 (Il-86)
空港内でシャワーを浴びて22:50ノヴォシビルスク→翌07:35成田のS7 5771便で日本に帰りました。
陸路で西安からウイグルを経由してカザフスタンへ(9/10 ホルゴス国境~ジャルケント~アルマトイ)
前回の続きです。

北京時間の7時半過ぎ、定刻より早くホルゴス駅に着きました。

2階建て客車は背が高いので壁のようです。

ホルゴス駅。写真を撮っていると警備員から「早く行け」とせかされ、出口には身分証のチェックがありました。

駅からタクシーでホルゴス国際バスターミナルに来ました。門の前で開くまで待ちます。

カザフスタン側国境地点ジャルケントへの国際バスの切符。運賃は70元。
バスターミナル内に両替商がいましたので、いくらかテンゲに両替しました。

バスは来ましたが扉が開かないのでバスの近くで待機です。

いつ出発するかわからないので遠くにも出れずウロウロしていると、ロシア人の若い女性から「ごはん食べた?出てすぐのところで餃子買えるよ。しばらく出ないから大丈夫。」と教えてもらい朝食をゲットしました。この方はこの先の国境超え区間でも色々と助けてくれましたが、ロシア語と中国語は話せるけど英語は全くわからないとのことで会話はずっと中国語でした。

しばらくするとバスの扉が開き、乗り込むことができました。寝台バスですが以前ベトナムで乗ったものよりも綺麗です。
この日(1月3日)は新年初の道路国境が開く日でしたが、バスはそこまで混んでいませんでした。
※国境の営業日と営業時間は「中华人民共和国政府和哈萨克斯坦共和国政府关于中哈边境口岸及其管理制度的协定」に書かれています。
念のため抜き出して書いておきます。

・中国とカザフスタンの法定祝日および日曜日はクローズ
・営業時間は月曜~土曜の北京時間で10時~14時、15時~19時
・鉄道で超える場合は24時間365日OK

中国側の国境、ホルゴス口岸に到着しました。
建物に入るところでX線の手荷物検査があり、そこでスマホとカメラの画像もチェックされました。その後出国カードを書くテーブルに進むとそこでも係員が待っていて、書き終わったタイミングで別室に連れていかれました。どうやら第三国人は全員別室送りのようです。別室に入ると共産党バッチを付けた二人組の漢族っぽい男性が入ってきました。一人は50代くらいのリーダーで中国語オンリー、もう一人は30代くらいで英語と中国語が話せるようです。若い男性の方が胸にビデオカメラを装着し録画が開始されてから検査が始まりました。
最初はパスポートのチェックから。知らない口岸のスタンプがあると「これどこの国境?」と聞かれました。それが終わるとスマホとカメラを出すように指示されて全ての画像がチェックされました。建物に入るときのスマホ検査よりも何倍もしっかりと見ているようで、観光地の画像を興味本位で「これどこ?」と聞いてくることもあれば、風景写真をアップでじっくり調べていることもありました。
写真検査が終わるとリュックから全ての荷物をテーブルの上に出すように指示され、出した荷物一つずつに「これはなんだ?」と確認が入りました。「服」「茶葉」「充電器」と淡々と答えるとあっさり終わり、リュック自体も軽く調べられた程度でした。こで全ての検査が終わったようで、無事別室から出ることができました。
出国スタンプをもらったあとは建物を出たところでバスが来るまで待機です。しばらくしてバスが来ると全員乗り込み、国境を越えてカザフスタン側の国境審査施設に着きました。中国とカザフには2時間の時差があるので時計を2時間戻します。カザフスタンの入国はあっさり終わり、またバスを待っていると今日はバスがここで運転打ち切りという情報が入ってきました。

ちょうど昼食の時間でしたので併設された食堂でランチをとりました。ソ連式のスタローバヤで安心感があります。

バスが打ち切りになった以上ここから出るにはタクシーしかないので、先述のロシア人お姉さん、バスに乗ってた日本人お兄さんとともにタクシーに乗ってアルマトイへ行きます。ひたすら何もない草原を100km/h以上でかっ飛ばしていきます。

途中休憩で立ち寄ったカフェ。駐車場の舗装がガタガタで中国とは大違いです。
ジャルケントを出て約3時間後、日没後のアルマトイに到着しました。ロシア人のお姉さんはアルマトイ駅に行くとのことなので私たち日本人2人を先に町の中心部で降ろしてもらいました。お兄さんとは下車地点で解散し、スーパーで夕食を買ってからホテルへ入りました。

スーパーで買ったプロフ。新疆の抓飯とは違い油でギトギトでした。

同じくスーパーで買ったアイラン。塩味の飲むヨーグルトです。
陸路で西安からウイグルを経由してカザフスタンへ(8/10 喀什カシュガル~烏魯木斉ウルムチ)
前回の続きです。

Y961次でウルムチへ向かいます。

車輛は25G型客車です。

硬臥は開放式でした。

夕飯は広場で買った小ぶりなみかん。よく考えず「10元分ちょうだい」と言ったらこんなに買えました。

翌朝9時頃、東側の空が明るくなってきました。


タクラマカン砂漠の縁を何時間も走っていきます。

途中、中国の長距離列車名物であるお菓子の実演販売がありました。これはたぶんクルト的なやつ。

トルファン駅でスイッチバックを行い、天山山脈の端を超えていきます。

天山山脈を越えると雪が積もっていました。今まで訪れていた山脈の東側ではどんなに寒くても全くなかったので驚きです。

新疆は資源が豊富なので石油を運ぶ貨物列車がたくさん走っていました。

オーストリアとハンガリーの国境地帯みたいに風力発電が盛んなようです。

続いてラクダの牧場が見えてきました。

14時半頃、ほぼ定時で列車は烏魯木斉南駅に到着しました。終点は次の烏魯木斉駅ですが、中心部に近い南駅で下車します。

烏魯木斉南駅に到着。新疆が監視社会となるきっかけになった烏魯木斉駅爆発事件があった駅です。

駅前には早速民族団結のプロパガンダ看板。

国際大バザールに来ました。中国によくある綺麗な新築です。

観光客向けの綺麗な内装となっています。

少し遅い夕飯としてウイグル料理店に入りました。

コルマチョップ(丁丁炒面)と羊肉串。お茶はここでも茯磚茶でした。

バザールの外では家の窓を使用した店が連なっていました。

次の列車が発車する烏魯木斉駅の近くでシャワーを浴びようとホテルを探してウロウロしていると、武装した三人組の公安から声をかけられました。「シャワーを浴びたいからホテルを探している」というと「あのホテルへ行け」と雑な回答。面倒にはなりたくなかったのでお礼を言って素直にそのホテルへ入り、数日ぶりのシャワーを浴びました。

発車時刻が近づいてきたので烏魯木斉駅に入ります。駅の手荷物検査場では漢族、ウイグル族、モンゴル族、カザフ族と様々な民族の職員が働いていました。

烏魯木斉駅のトイレはトイレットペーパーが備え付けられていましたが、入り口の機械を微信でスキャンしないと受け取れないやつでした。

上から4番目の21:26発Y951次ホルゴス行きに乗ります。1から3番目はアクス、カラマイ、コルラなのでテュルク語由来の地名が続きますね。塔城は中原の地名かと思ったら新疆北部でカザフスタンに接するタルバガタイという場所のようです。

ホルゴスと同じくカザフスタンとの国境駅である阿拉山口へ行く5801次、黒龍江省のチチハルまで4827kmを67時間半かけて走る中国で最も運行時間の長いK1082次も並んでいます。

改札が始まりました。

烏魯木斉発ホルゴス行きY951次の車輛は25B型客車の双層硬臥車でした。

2階の通路。硬臥ですが個室になっています。

4人個室なので少し狭いですが軟臥みたいです。


壁面にはなぜかドイツのICE3の写真が貼られいました。

烏魯木斉客運段の換票証。ウイグル文字は無く漢字だけです。
次回に続きます。
陸路で西安からウイグルを経由してカザフスタンへ(7/10 喀什カシュガル)
前回の続きです。

定刻より少し遅れて北京時間9時45分頃にカシュガル駅に到着しました。


列車のレースカーテンはラクダ柄でした。

カシュガル駅を外側から。トルファンやクチャと同じように公安との交流があるかと思ってましたが、何もなくあっさり出れて拍子抜けしました。

駅前からバスに乗ってカシュガル古城のあたりまで来ました。交差点に大きなモニターがあり、お知らせや広告を流していました。

モニターに映し出された1枚の写真。真ん中に電線が入っていて少し見づらいですが、習近平主席と少数民族の子供たちが映っています。

カシュガル古城の地図。


地図と説明の看板。
看板を設置した当初、カシュガル古城の「カシュガル」の部分は中国語表記で漢字四文字の喀什噶爾(カシュガル)としていたようですが、設置後に修正が入り都市名の表記と同じ漢字二文字の喀什(カシュ)となったようです。
地名を漢字二文字で表すのは中国の文化で、日本もそれに倣って713年に好字二字令を発令し粟→阿波、木→紀伊、近淡海→近江などそれまで漢字一文字や三文字だった地名を基本漢字二文字に統一しています。

しかし英語の看板はKashgar(カシュガル)のまま。喀什のローマ字表記はKashiとななるのに、、、

朝食を食べにきました。

1種類しかないという朝食セットを注文しました。マントウ(饅頭)とラグマンの具の部分みたいなスープ。ここでもお茶は茯磚茶でした。
支払いは現金不可でスマホ払いのみと言われましたので、アリペイのTourPassで支払いました。

北京時間の10時頃に太陽が昇ってきました。この日は元旦でしたので東京よりも約4時間遅い初日の出です。

名創優品MINISOのパクリ、照美誠品XIMISO。
シミソー、染みそう。

ウイグル語はわからないので100元ってことしかわからない、、、

地下道に貼ってあったカシュガル市民公約。一番最初は「熱愛祖国」。ここの地下道は階段を下りたところにX線の荷物検査機があり、手荷物を通さないと通れないようになっていました。

隣に貼ってあった方はウイグル語オンリー。


新疆最大のモスクとなるエイティガールモスク。

ここにも後から外されたような跡がありました。
入場料を払って入ります。


礼拝堂。



ここにはカーペットが敷かれていました。

正面中心の天井

ミフラーブの正面の壁

細かな装飾がありました。

礼拝堂の中

説教壇(ミンバル)

このモスクの窓も綺麗な格子模様が入っていました。

庭園はがらんとしていました。

旧市街に戻ってきました。

北京時間で11時に近いですが、ウイグル時間は9時。まだ朝の雰囲気です。

ドライフルーツやナッツの露店。葡萄は種類がたくさんありました。

こちらは果物の露店。

羊が台車で運ばれていました。氷点下10度前後の気温だからできる技です。

建物の壁に大きな絵が描かれていると東側だなと感じます。

漢方屋さん?茯磚茶も売っていました。

乾燥されたヘビ

パプリカか唐辛子

カシュガルでは交差点にこのような集会所?のようなものをよく見かけました。

裏路地の入口にはザクロ(子孫繁栄の象徴)の装飾








裏路地はひっそりとしていました。

馕(ナン)の露店

ゴマのナン。サクサクなナンでした。

再開発っぽい雰囲気の町並み。

彫刻屋さん。ロシアっぽいパステルカラーの装飾がされてます。

交差点の集会所?その2

旧市街の入り口みたいなとこに来ました。しっかり観光地化されてます。


高台民居は塀で囲まれていて中に入ることができませんでした。

「ひきさい」と書かれた自転車

イスラム模様のバス停

香妃墓に来ました。清代のウイグル族で乾隆帝の妃、香妃の他にアパホージャー族のお墓です。



イスラム教らしく緑色が多用されています。

ここでは銘文が残っていました。

お墓一つ一つが誰のものか書かれていました。

市内にもどってきました。


露店の肉屋さん。暴動対策のため、肉を切る斧は紐で持ち出せないように固定されて刃には所有者がわかるようQRコードが刻印されていています。

果物屋さん。冬だからミカンとリンゴが多めでした。

カシュガルでは薄いタイプのナンが主流のようです。

ウイグル語でも書かれた標識。

カシュガル国際バザールに来ました。

中には衣料店が多かったです。

閑散としたホータン産の翡翠コーナー

外は乾物コーナーでした。

ロシア語で " Набат " と呼ばれ中央アジア各国で楽しまれている氷砂糖も売っていました。

乾燥ヒトデ

場外市場では道の真ん中にゴミ箱が設置されていました。

食堂でラグマンを食べました。白菜が入っていて中華風です。


” 愛党愛国 ” の看板が掲げられたモスク。入り口は封鎖されていました。

ユスフ・ハズ・ジャジェブ墓(玉素甫·哈斯·哈吉甫麻扎墓)に来ました。11世紀中ごろに活躍したカラハン朝のウイグル人学者・思想家のお墓です。







地元でもマイナーな観光地なのか、敷地を出たところで散歩中の方に「ここ何があるの?」と質問を受けました。

人民広場から人民東路を挟んだ向かいにある毛沢東の石像。

旧市街の職人街に来ました。

銅鍋を作っていました。

メイン通りから裏通りに入っていきます。

真冬でも植物が?と思いましたが造花でした。

ロシアやカザフからの観光客なのか、ウシャンカを被っている方もいました。

「禁煙しない」という言いたいことはわかる謎の宣言。

保温のために絨毯がかけられた玄関

トユクでも見たお茶を楽しむための寝台(топчан)がありました。こちらは常設で、お湯を沸かすためのかまどが付いています。

相変わらずたくさんの五星紅旗と鉄条網があります。

極寒の真冬なのでどこも茶色一色です。防犯カメラは本当にたくさんありました。

子供たちがサッカーをしていました。

ひっそりした路地が多かったです。

メイン通りに戻ってきました。日が高くなってきたので人通りも増えています。

新中国設立70周年のポスター

エイティガールモスク前の広場ではラクダの展示がされていました。
日の出が遅かったので日没も遅くなり、北京時間の19時でもこの明るさです。

北京時間の20時頃、カシュガル駅に戻ってきました。