前回の続きです。
昨日のトルファン駅での出来事を踏まえ、この日は下車前に1日の行動予定をスマホのメモ帳に書いておきました。
朝7時頃、クチャ駅に到着しました。客車が汚い、、、
この駅でも出るときに身分証チェックと行動予定確認がありました。
タクシーをチャーターするために駐車場へ移動すると、この街でもやっぱり公安が待機していました。詰所で行動予定を一通り説明すると開放されましたが、チャーターするタクシーの運転手は公安が指名してきました。
漢民族の方が運転するタクシーに乗り、最初に朝ごはんを食べに行きます。
朝ごはんを食べた食堂。
マントウ(饅頭)と謎の揚げ物。
ここでも朝食は牛肉麺。
最初に行くキジル石窟の開館時間まで余裕があるので、暖かいこの店で時間をつぶしました。
食堂を出発してキジル石窟へ向かう途中、クチャ市街から外へ出るところに検問所がありました。ドライブスルー式の顔認証カメラで顔写真を撮られたあと、運転手さんが私のパスポートを持って詰所に消えていきました。タクシーの車内で待つこと20分。何の手続きがあったのかわかりませんが無事終わったようなので運転手さんが戻ってきて車が動き出しました。
写真は検問所に併設されたニーハオトイレです。
ウイグルは路面の舗装がしっかりしています。
開館時間ほぼぴったりにキジル石窟へ到着しました。
入り口で入場料を払い、石窟まで歩いて向かいます。
敦煌の莫高窟と比べると小さく見えましたが、新疆では最大の石窟です。正面の銅像はかつてこの地で繁栄した亀茲国の僧侶、鳩摩羅什。
日本語のツアーは当然存在しないので、中国語のツアー(予約不要)に参加しました。閑散期だからか私1人に対して2人のウイグル族ガイドさんが付いてくれました。
手荷物の持ち込みは禁止なので、貴重品以外はコインロッカーに入れる必要があります。特にカメラと水筒は持ち込みNGです。しかしスマホで写真撮るのは良いとのこと。
キジル石窟第38窟。4世紀に作られました。
石窟内は薄暗いですが、解説のときと写真撮るときはガイドさんが持っている懐中電灯で見どころを照らしてくれました。
入って右側の天井。探検家によって剝がされた跡がそのまま残っています。
青色の塗料はほぼアフガニスタンでしか産出しない貴重な宝石であるラピスラズリなので、この壁画を描くのにとてもお金が掛かったことが想像されます。緑色の塗料は孔雀石由来です。
入って左側の天井。こちらにも剥がされた跡。
入口上部の壁画。
天井の中心。白色はカオリンで、黒くなっている箇所は元々赤色(水銀朱)か肌色(水銀朱の上にカオリン)でした。
祭壇左側の通路(側廊)。
祭壇右側の側廊。後室の仏画は目と口が破壊されています。
左側の壁画。ほとんど落ちてしまっていますが、敦煌莫高窟のようにアクリルパネルが無いのでよく観察できます。
右側の壁画。
こちらの楽器はガイドさん曰く五弦の琵琶だそうです。「日本に現存しているけど見たことある?」と聞かれたので、「あるよ。日本人だから」と答えると驚いていました。
右側の人は肌が黒く描かれていますが、もとは肌色(水銀朱+カオリン)だったのでしょう。
蛇、鴨、豚?のかわいい壁画。
キジル石窟第8窟。7世紀のものになります。
金箔で袈裟を表現していましたが、後の時代に金箔だけ剥がされてしまったようです。
菱形区画のうち黒くなっている区画はもとは赤色だったようです。
入口上部の壁画。飛天が五弦の琵琶を持っています。
ここは祭壇の裏側にも入れました。天井には幾何学模様が描かれています。
第34窟。3世紀に僧侶用として掘られ、5世紀に礼拝窟になりました。
壁面の仏画はルコックらに剥がされ、現在はベルリンにあるようです。
仏画は天井に一部残っているだけでした。
第27窟。7世紀に作られた石窟で、仏像を置くための溝が部屋中にありました。
天井が複雑な造形で、赤色の塗料も少し残っています。
描かれている人物の顔がどことなくインドや中東っぽいように感じます。
第32窟。5世紀の石窟になります。
この石窟ではあまりラピスラズリが使われていないようです。
壁とドーム天井の段差のスペースは色々な絵が描かれていて面白いです。
一番最後は18窟。壁画はなくこの文章が書かれているのみでした。
ここでもルコックの名前が出てきました。
外側の通路。奥の山にも石窟が見えますが非公開のようです。
階段下でガイドさんと解散しコインロッカーから手荷物を回収した後、外からの写真を撮っていると警備員さんが「車に乗っていくか?」と声をかけてくれたのでお言葉に甘えて写真右側の車で入り口まで送ってもらいました。
キジル石窟を出て天山神秘大渓谷(クズリア大渓谷)へ向かいます。
途中ガソリンスタンドに寄ったのですが、ガソリンスタンドは高い壁に囲われ、顔認証を済ませないと開かないゲートが設置されていました。敷地内には運転手のみが入れるようでしたので私は車を降りて給油が終わるまで詰所で待機しました。詰所内には5名前後の警備員と刺股、盾などがあり新疆の警備レベルを実感しました。
天山山脈が見えてきました。
渓谷に向け一路走っていきます。
天山神秘大渓谷に到着です。運転手さんとは2時間後に戻ってくる約束をして出発しました。
道は基本1本だけなので地図は不要です。
鉄砲水が起きたときに避難するためのお立ち台が定期的に設置されてます。
水による浸食でできた渓谷ですので、底面は運ばれてきた砂が堆積しています。
小屋の奥にある階段の先に唐代の石窟があるのですが、入れませんでした。
一番細い区間があるという横道。
おそらくここが一番細い区間。
すぐに行き止まりとなっていました。
河北省から来たというお二人と会いました。
メインルートに戻ってきました。
ルートの2/3くらい来たとこで落石があり通行止めとなっていました。来た道を戻ります。
2時間の予定でしたが3時間かかってしまいました。車に戻ると運転手さんが昼食としてナンを買ってきてくれていたので、最後の目的地であるクチャモスクへ向かう車内で食べました。
ヤルダン地形の中を走っていきます。
運転手さんは朝から時々誰かとウイグル語?で電話をしていましたが、このときは中国語で「これから1人の日本人が向かう」というような話をしていました。
クチャ市内まで戻ってくると2台の謎の車と合流し、その車に先導される形でモスクのある旧市街へ向かいました。
高い壁と鉄条網に囲まれた旧市街、その入り口の有人ゲートを顔パスで突破し新疆で2番目に大きなモスクであるクチャモスク(庫車大寺)に到着しました。
どうやら謎の2台の車は公安で、運転手さんとは顔見知りのようでした。
正面から。モスク前の広場では子供がサッカーをしていました。
緻密なタイル絵です。
写真右側の詰所で入場料を払ってから入ります。
入場料の支払方法は微信の個人間送金のみ(現金不可)でしたので、中国に銀行口座のない私は支払えず困っていたところタクシーの運転手さんが助けてくれました。最終的に私がタクシーの運転手さんに現金を渡し、運転手さんが公安の一人にオンライン送金し、その公安の方がモスクに支払うという方法で無事完了しました。
モスクに入ったところの広場。
モスクの紹介文。16世紀にモスクができ、今の建物は1932年に建てられたようです。
ドームとその中。
礼拝堂に入ります。
以前はカーペットが敷かれていたのでしょうが、現在は土間敷です。
奥にもう一つ部屋があります。
礼拝堂の窓。
天井の装飾。
奥の部屋に入ってみます。
装飾が細かく豪華です。
メッカの方向を示すミフラーブ。明らかにタイルを剝がした跡がありました。
奥の部屋とメインルームとの扉。
葡萄用の棚でしょうか。
伝統的な民家があったと思われるエリアは解体工事中でした。
意味はわからないけど何となく気に入っている看板。
モスクを出ると運転手さんから「予定していたことろ全て終わったけどどこで降ろそうか?」と聞かれました。本当は旧市街を散策したかったのですがそんな雰囲気ではないので新市街のスーパーマーケットまで送ってもらい、解散しました。
スーパーマーケットで水や食料を選んでいると、少し後ろや棚の反対側をモスクでお世話になった公安数名が歩いていました。彼らの方を見るとすぐに目を逸らしてきますが、どうも私のことを尾行しているようです。
会計終了後にカメラのレンズカバーが割れてしまったので同じビル内にあるカメラ屋さんで代わりのものを買いました。このときも少し離れたところに見覚えのある人が立っていました。
スーパーマーケットを出たとこにあったプロパガンダ看板。
“ 習近平による新時代中国の特色ある社会主義思想の導きの下、中華民族の偉大な復興という中国の夢を実現するためにたゆまない奮闘を ”
みたいな感じでしょうか。
夕飯を食べにウイグル料理屋に来ました。
ポロ(ウイグル風ピラフ)と羊の串焼き、ニンジンサラダ。
机に置かれたお茶はもちろんハマナスの蕾などが入った茯磚茶です。
春菊のサラダ。
この店に入って少しするとモスクとスーパーで見かけた方も入ってきて、少し離れたテーブルに座り何も注文せずにこちらを見ていました。
列車の時間まで余裕があったので駅まで1時間半歩いていきました。
クチャ駅にあった英訳ではないただの中国語ローマ字表記。
K6727次カシュガル行に乗ります。
25G型客車です。
次回へ続きます。