前回の続きです。
今回は上海から西安へ向かいます。
上海港から歩いて外灘へ。
12時になると東方紅のベルが鳴っていました。
上海のトレードマーク、東方明珠塔。
目の前の川を貨物船がひっきりなしに通っていました。
上海地下鉄の駅にて。
「階段を昇り降りする際はケータイを見るな」って上に書いても対象の人は誰も見ないんじゃ...
宝山路站から車両基地を眺めてきました。
塗装はほとんどが新緑皮です。
お昼ご飯は上海駅北側にある小楊生煎で焼小籠包。
列車の時間まで少しあるので上海駅西側の有名撮り鉄ポイント「恒豊路立交橋」へ向かいます。
恒豊路立交橋は一応フェンスがあるのですが、所々レンズが入る大きさに穴が開いてました。
楽しく写真を撮っていると通りすがりのおじいさんから「警察が来るからカメラを隠せ」と言われました。
上海駅に戻ってきました。これから寝台列車で西安へ向かいます。
手荷物検査を終えた先にある待合室。
改札を通りホームへ降りていきます。
今回乗るのは左側13番線に停まるZ252次西安行です。
25T型客車です。硬臥ですが半個室になっています。
定時より早く15:40頃に発車し、すぐに切符の交換が来ました。
西安客運段による運行で、換票証のデザインはCRH2型と兵馬俑と城門?
夕飯は食堂車でとることにしました。
乗客の多くはカップ麺やワゴン販売の弁当で夕飯を済ますようで食堂車は空いていました。
メニューを渡され注文するも「没有」の連続で、ようやく注文できた青椒肉絲の定食。たしか50元くらい。
翌朝の朝食はワゴン販売の食堂車製弁当にしました。
8時頃、終点の西安駅に到着しました。
省都なのに低床ホームでとても趣がある駅です。
駅舎を出ると目の前に街を囲む城壁が広がっていました。
中国歴代王朝の都、長安に来たのだなと実感します。
スモッグが濃いですが、それがかえって幻想的です。
西安駅。
駅前に1960年製のマンホールがありました。
駅の東側にある陸橋を渡って大明宮国家遺跡公園へ向かいます。
機関区には和諧3D、韶山7E、和諧3C、韶山7D、東風7C?が停まってました。
駅の北側は古い町並みが残ってましたが、再開発で取り壊し最中でした。
大明宮国家遺跡公園。唐代に宮殿があった場所です。
遣唐使もここまで来たんでしょうか。
中国によくある新築の遺跡だったので入り口だけ見て次へ向かいます。
安遠門駅から地下鉄に乗って北大街駅で乗り換え。
これはどう見てもディズニー。
大雁塔駅に着きました。
壁には三蔵法師と大雁塔、インドのタージマハルが書かれていました。
駅前の広場では広場舞をしている方たちがいらっしゃいました。
三蔵法師の銅像と、彼がインドから持ち帰った経典を保存するために建立された大雁塔。
入場料を支払い中に入ります。
大雁塔の前にはお堂があります。
お堂の中には仏像があり、お坊さん達がお経をあげていました。
また、お堂の前の香炉には太い線香が立てられていました。
お堂の裏。
大雁塔に登ってみます。
中は三蔵法師が辿った天竺への旅の資料が展示してありました。
大雁塔の最上階から望む西側の景色。
大雁塔から地下鉄で漢城路駅へ。駅前のマンホールから湯気が出てました。
シルクロードの像(絲綢之路群雕)。
隋代唐代にはこの近くに開遠門という都から西域へ向かう際に通る門がありました。
先頭を歩く漢民族とは違う顔の方はソグド人でしょうか。
ソグド人は中国語で胡人と書き、シルクロードを通じて多くのものを運びました。
ソグド人によって伝えられたものには胡椒(コショウ)、胡瓜(キュウリ)、胡桃(クルミ)、胡麻(ゴマ)などがあり、どれも最初に胡人の「胡」がつきます。
2階建てバスで鐘楼まで来ました。左奥には鼓楼が見えます。
昼食は西安駅前のバスターミナル内にある食堂で羊肉泡馍。
体育館くらいの広さがあります。
入り口のすぐ近くが発見場所だったようです。
奥には修理途中のものが並んでいました。
発掘途中のものも。
銅馬車。
騎兵と軍馬。
兵馬俑博物館の入り口の前から出てるシャトルバスで始皇帝陵へ。
この広場から眺めるだけで登ることはできません。
閉館時間になったのでバスで西安市内に戻ってきました。
ライトアップされた鼓楼。
夕飯を食べに回民街へ。
西域の果物であるザクロのお店がありました。
店員さんも回民族なのか頭にスカーフを巻いています。
羊を吊るしながら解体している店もありました。
夕飯は画数の多い漢字が使われていることで有名なビャンビャン麺にしました。
優質羊肉ビャンビャン麺、35元。
せっかく西安まで来たので名物の肉夹馍も食べました。
ほぐした羊肉を馍(パンの一種)で挟んだ中国版ハンバーガーです。
脇道に入るとモスクがありましたが、閉館時間を過ぎていたので中には入れませんでした。
次回へ続きます。