前回の続きです。
定刻より少し遅れて北京時間9時45分頃にカシュガル駅に到着しました。
列車のレースカーテンはラクダ柄でした。
カシュガル駅を外側から。トルファンやクチャと同じように公安との交流があるかと思ってましたが、何もなくあっさり出れて拍子抜けしました。
駅前からバスに乗ってカシュガル古城のあたりまで来ました。交差点に大きなモニターがあり、お知らせや広告を流していました。
モニターに映し出された1枚の写真。真ん中に電線が入っていて少し見づらいですが、習近平主席と少数民族の子供たちが映っています。
カシュガル古城の地図。
地図と説明の看板。
看板を設置した当初、カシュガル古城の「カシュガル」の部分は中国語表記で漢字四文字の喀什噶爾(カシュガル)としていたようですが、設置後に修正が入り都市名の表記と同じ漢字二文字の喀什(カシュ)となったようです。
地名を漢字二文字で表すのは中国の文化で、日本もそれに倣って713年に好字二字令を発令し粟→阿波、木→紀伊、近淡海→近江などそれまで漢字一文字や三文字だった地名を基本漢字二文字に統一しています。
しかし英語の看板はKashgar(カシュガル)のまま。喀什のローマ字表記はKashiとななるのに、、、
朝食を食べにきました。
1種類しかないという朝食セットを注文しました。マントウ(饅頭)とラグマンの具の部分みたいなスープ。ここでもお茶は茯磚茶でした。
支払いは現金不可でスマホ払いのみと言われましたので、アリペイのTourPassで支払いました。
北京時間の10時頃に太陽が昇ってきました。この日は元旦でしたので東京よりも約4時間遅い初日の出です。
名創優品MINISOのパクリ、照美誠品XIMISO。
シミソー、染みそう。
ウイグル語はわからないので100元ってことしかわからない、、、
地下道に貼ってあったカシュガル市民公約。一番最初は「熱愛祖国」。ここの地下道は階段を下りたところにX線の荷物検査機があり、手荷物を通さないと通れないようになっていました。
隣に貼ってあった方はウイグル語オンリー。
新疆最大のモスクとなるエイティガールモスク。
ここにも後から外されたような跡がありました。
入場料を払って入ります。
礼拝堂。
ここにはカーペットが敷かれていました。
正面中心の天井
ミフラーブの正面の壁
細かな装飾がありました。
礼拝堂の中
説教壇(ミンバル)
このモスクの窓も綺麗な格子模様が入っていました。
庭園はがらんとしていました。
旧市街に戻ってきました。
北京時間で11時に近いですが、ウイグル時間は9時。まだ朝の雰囲気です。
ドライフルーツやナッツの露店。葡萄は種類がたくさんありました。
こちらは果物の露店。
羊が台車で運ばれていました。氷点下10度前後の気温だからできる技です。
建物の壁に大きな絵が描かれていると東側だなと感じます。
漢方屋さん?茯磚茶も売っていました。
乾燥されたヘビ
パプリカか唐辛子
カシュガルでは交差点にこのような集会所?のようなものをよく見かけました。
裏路地の入口にはザクロ(子孫繁栄の象徴)の装飾
裏路地はひっそりとしていました。
馕(ナン)の露店
ゴマのナン。サクサクなナンでした。
再開発っぽい雰囲気の町並み。
彫刻屋さん。ロシアっぽいパステルカラーの装飾がされてます。
交差点の集会所?その2
旧市街の入り口みたいなとこに来ました。しっかり観光地化されてます。
高台民居は塀で囲まれていて中に入ることができませんでした。
「ひきさい」と書かれた自転車
イスラム模様のバス停
香妃墓に来ました。清代のウイグル族で乾隆帝の妃、香妃の他にアパホージャー族のお墓です。
イスラム教らしく緑色が多用されています。
ここでは銘文が残っていました。
お墓一つ一つが誰のものか書かれていました。
市内にもどってきました。
露店の肉屋さん。暴動対策のため、肉を切る斧は紐で持ち出せないように固定されて刃には所有者がわかるようQRコードが刻印されていています。
果物屋さん。冬だからミカンとリンゴが多めでした。
カシュガルでは薄いタイプのナンが主流のようです。
ウイグル語でも書かれた標識。
カシュガル国際バザールに来ました。
中には衣料店が多かったです。
閑散としたホータン産の翡翠コーナー
外は乾物コーナーでした。
ロシア語で " Набат " と呼ばれ中央アジア各国で楽しまれている氷砂糖も売っていました。
乾燥ヒトデ
場外市場では道の真ん中にゴミ箱が設置されていました。
食堂でラグマンを食べました。白菜が入っていて中華風です。
” 愛党愛国 ” の看板が掲げられたモスク。入り口は封鎖されていました。
ユスフ・ハズ・ジャジェブ墓(玉素甫·哈斯·哈吉甫麻扎墓)に来ました。11世紀中ごろに活躍したカラハン朝のウイグル人学者・思想家のお墓です。
地元でもマイナーな観光地なのか、敷地を出たところで散歩中の方に「ここ何があるの?」と質問を受けました。
人民広場から人民東路を挟んだ向かいにある毛沢東の石像。
旧市街の職人街に来ました。
銅鍋を作っていました。
メイン通りから裏通りに入っていきます。
真冬でも植物が?と思いましたが造花でした。
ロシアやカザフからの観光客なのか、ウシャンカを被っている方もいました。
「禁煙しない」という言いたいことはわかる謎の宣言。
保温のために絨毯がかけられた玄関
トユクでも見たお茶を楽しむための寝台(топчан)がありました。こちらは常設で、お湯を沸かすためのかまどが付いています。
相変わらずたくさんの五星紅旗と鉄条網があります。
極寒の真冬なのでどこも茶色一色です。防犯カメラは本当にたくさんありました。
子供たちがサッカーをしていました。
ひっそりした路地が多かったです。
メイン通りに戻ってきました。日が高くなってきたので人通りも増えています。
新中国設立70周年のポスター
エイティガールモスク前の広場ではラクダの展示がされていました。
日の出が遅かったので日没も遅くなり、北京時間の19時でもこの明るさです。
北京時間の20時頃、カシュガル駅に戻ってきました。